→ Marimba Ensemble “Kion (木音)”

【追悼】吉川雅夫 二つのエッセイ

「〜マリンバ奏者として七十年、つれづれに想うこと~ 」は CD付楽譜シリーズ「マリンバフェバリッツ」3巻(1914年)の巻末に、「マリンバと共に八十年」は吉川氏のCD「パリのアメリカ人」(1915年)に収めた文章です。
吉川氏の20代から30代にかけて東京、名古屋で行ったリサイタルや放送での演奏は
吉川雅夫 20~30代のSolo演奏集でお聴きいただけます。

吉川雅夫プロフィール (ウィキペディアWikipedia) より

音楽家であった父から木琴の指導を5歳から受け、父のアコーディオン伴奏で日本各地で演奏をする。天才木琴少年としてラジオやテレビ放送にも出演していた。高校生の時に平岡養一の演奏を聴き、プロになることを決意。武蔵野音楽大学ピアノ科に入学。在学中よりスタジオ・ミュージシャンとして活動。スタジオ・ミュージシャン歴80年間で録音総数は3万曲に上る。



← 6才 父のアコーディオン伴奏で

〜マリンバ奏者として七十年、つれづれに想うこと~ 吉川雅夫 (2014年)

最近はインターネットのYou Tubeで世界の新しいマリンバの動向が簡単に見られる様になり「便利な世の中になったものだ…」とつくづく思います。日に日に新作が生まれ、若い奏者達のテクニック、アンサンブル力も見事でクラシック音楽界に確実に一つの座を得るまでになりました。

昭和22年頃、中学一年の私が漠然と将来は木琴奏者になるのかな…と意識し始めた頃、使用していた楽器は左右一メートル一寸のアメリカ製の小型木琴でした。新聞のラジオ欄に「木琴演奏」の予告が載ると聴きたくて学校を休んだものです。

マリンバという楽器自体の進歩も、かつて若い私が夢想していたレベルを超えるまでになって…私も日本と世界のマリンバ界の進歩の推移をつぶさに見てこられて「幸せ、幸せ…」と喜びたいのですが、少し不安があるのです。

You Tubeの枝から枝を伝って膨大なオリジナル作品や編曲ものを聴いていて、ふと気がつくと、私がマリンバ奏者として七十年、頭に描き続けて来た“理想のマリンバ”とは何処か違う、“世界的に何か妙なマリンバ路線”に移行している気がしてなりません。

凄いテクニックや斬新なオリジナルから受ける「驚き、新鮮さ」はあっても、さっぱり「感動」が無いのです、同じYou Tubeでピアノを覗いた時とのあまりの差に、がっかりするのは毎度 のことです。
クラシック数百年の歴史をもつヴァイオリンやピアノ界などと単純に比較することの酷なのは承知の上でも…つい愚痴が出ます。

具体的に不満を持つ理由は、私がマリンバ演奏に不可欠…と思うトレモロで旋律を奏する(かなでる)場面がほとんど見当たらないことです。一部の奏者は明らかに意識してトレモロを避けています。バッハやショパン等を見事に演奏している奏者なのに、残念なことに曲の核心部分で本来ならばトレモロで奏する部分をポロン…ポロンとスタッカートで奏するのでは、単に綺麗で軽い環境音楽、またはムードミュージックに成り下がってしまいます。“トレモロを避ける”この傾向は、特に最近著しく加速している様でとても残念です。

考えても見てください、ショパンの夜想曲やドビュッシーの叙情曲を全編トレモロなしで演奏する空虚…トレモロが嫌いならその曲はやめるべきです。彼らは“なぜ”トレモロが嫌いなのでしょうか…? 理由は簡単です、自分の奏するトレモロが聴くに堪えないからです。

近年、オリジナル作品を中心にして勉強している若い世代が、音楽の基礎としてバッハを大事に思っていることは良い傾向です。殆ど奇跡の様な芸術的存在であるバッハ作品の勉強は不可欠ですが…「オリジナル作品とバッハ」…このどちらもトレモロとの関わりが少ないためトレモロの習得を素通りしてしまいがちです。

オリジナル作品が少なかった一世代前は、勉強の素材としてヴァイオリン協奏曲、ソナタなどを手当たり次第に勉強して、当然二楽章の旋律をトレモロで如何に世界的なヴァイオリン奏者の名演に近付けるか…(精神を込めないことには勉強にもならない)とても苦しい試行錯誤を重ねて来ています。
その結果、叙情的な面のみならずあらゆる場面に応用の効くフレキシブルなトレモロのテクニックが身に付いて、他のあらゆる楽器のための作品を演奏しても不自然に感じないトレモロ感覚を習得出来るわけです。

◆「もう一つのマリンバ」
私は1950年代に全盛期の木琴の平岡養一先生
(→詳細) のリサイタルを何度も聴いていますが、当時若かった私は「チゴイネルワイゼン」や「ハンガリアン狂詩曲」などの演奏に胸をときめかしていましたが、もう一つ、日本の歌曲や子守唄を編曲なしで旋律をストレートに奏されるのが大好きでした。
心に沁み込むように響くピアニッシモに観客は酔いしれて…終わった後もしばしこの雰囲気を壊したくない思いで皆、拍手をするのをためらった記憶があります。 
この話…年寄りのマリンバ奏者が昔の想い出に浸っているわけではなく、マリンバは、例えるならば≪チェロ≫に匹敵する深みのある旋律を奏でられる楽器なのを知ってほしいのです。
日本木琴協会の創設者であり、マリンバ・木琴奏者の朝吹英一先生も、ある時期流行ったオリジナル作品群の“硬いマレットの金属的な音色”に反発されて「もう一つのマリンバ」と題された「マリンバは叩く楽器ではなく、奏(かなでる)楽器です」と、思いを綴られていたことを思い出します。

◆「感動…というもの」
私は幸せなことに(木琴)の演奏を聴いて一生忘れえない深い感動をもらったことがあります。奏者は今回の「マリンバ・フェバリッツ」で演奏されている佐々木達夫氏です。
銀座会館での「ヴィターリのシャコンヌを聴く会」でヴァイオリン、ギター、フルート等、楽器を変えて聴く趣向でしたが、同じ曲を散々聴き飽きた頃、佐々木さんの番になりました。
他の奏者の様に力まないで、さりげなく「すっうっ…とトレモロで」弾き始めた最初のフレーズから私は“もって行かれ”ました。単に涙が出る…と言うレベルの感激ではなく、演奏の初めから最後まで全身が硬直し、感動で体が震えるのを押さえるためにただ椅子にしがみついていた、その十数分がまるで4、5分に感じられた充実した時間でした。
すぐ楽屋を訪ねました。佐々木氏に握手を求めて「素晴らしかった…」と言うつもりが感激で嗚咽して言葉が出ない…。こんな貴重な経験をしました。

もっともヴァイオリン的でマリンバからは縁遠いと私が考えていた「ヴィターリのシャコンヌ」…名手の手にかかると楽器の枠をこえて「名曲のもつ底知れぬ深み」を見せてくれます。

マリンバのリサイタルでクラシックのヴァイオリン曲などを演奏するのを、時代遅れ、…と敬遠する人がいます。しかしこれは大変な見当違いで、クラシックの名曲は、歴史の淘汰に耐えて数十万曲から生き残った珠玉の作品ばかり、音楽と芸術のエッセンスの塊です。楽器を変えて違う角度からその作品を見つめる行為は歴史的にも作曲者自身が「編曲」という形で多数試みています。

あなたがクラシック曲の名演に感動して「マリンバで演奏したい」…と思ったとしたら、もう何も遠慮はいらない“機は熟している”のです、思う通りに演奏してください、あなたはその曲を通じて素晴らしい「芸術的感動」を得られます。

時折、新作ばかりを並べたコンサートを聴いて「こんなに長ったらしくて空虚でテクニック的に難関なだけの五流作品を」どうして勉強して演奏する気になるのか…?不思議でならないことがあります。
昨日今日生まれたばかりで世の批評に耐えていないオリジナル作品を、頭から信じて“芸術”と思う前に、果たして演奏する価値があるのか…? 人生の貴重な時間を無駄にしないためにも…よく考えましょう。

マリンバの楽器としての特長は多々ありますが、意外…と思われるかも知れませんが、旋律に和音を付けて持続的に歌える楽器はマリンバのみなのです。弦楽器、管楽器、ピアノも不可能、オルガン系統は和音を均等にしか出せないしビブラートは均一です。特にマリンバの中低音の木質のアコースティックで牧歌的な音色は、もしバロック時代にマリンバが存在していたら歴史的な作曲家達が競って作曲してくれていたことは間違いありません。

先年横浜のフィリアホールで聴いた「エマニエル・セジョーヌのコンチェルト…」。マリンバの持つアコースティックな音色とストリングスオーケストラとの相性の素晴らしさに「生きている内にこんな曲に巡り合えて幸せ~…」と思ったものでした。マリンバ界にもちらほらと楽しみな作曲家も出て来たようで今後が楽しみです。

マリンバ・フェバリッツの第2巻に佐々木達夫さんがトレモロの奏法について貴重な文を書いておられますが、これは剣法に例えるならば「免許皆伝の巻きもの」に匹敵するものです。これを会得すれば、確実に一生の武器になります。旋律の演奏のみならずあらゆる形のトレモロの処理が実に楽になり、トレモロの演奏が好きになり、レパートリーが広くなります。プロを目指す奏者ならば真摯に受け止める価値があります。

何か凄いことを・・・と燃え立って新しい難解な曲に挑戦する…そして膨大な時間を練習に充ててコンサートでは見事にやってのける…その充実した満足感は素晴らしいものです、私もその喜びは知っています。
ただその曲を聴いている聴衆がいるのをお忘れなく。挑戦した曲が少なくとも“音楽”であることを祈ります。芸術であれば万々歳です。聴衆が喜んでくれれば何も言うことはありません。

マリンバと共に八十年 吉川雅夫(2015年)

◆マリンバとの出会い

私は木琴奏者の父(吉川翠芳…日本の木琴演奏創始者の一人)や、弟子達の弾くマリンバ(正確には木琴)を聴いて育ちました。

>四歳の時、父に「木琴をおしえて…」とねだったそうです。“門前の小僧”ですから4、5曲を覚えて、すぐに演芸会などで演奏して廻りました。

良い時代でした。子供が楽器を演奏すればたちまち「天才少年音楽家」の触れ込みで町の興行師が使ってくれて、繁華街の映画のアトラクションとして一週間連続で出演したこともあります。

当時、ステージに上がった時、普段とはまるで違って阿修羅のごとく入れ込んで弾く精神状態には、自分でも不思議に思ったものです。現在でもそうですが、練習ではどうしても解決できなかった部分がステージ上での異常感覚で一瞬に理解できる部分もあって、演奏家として大事な素質をこの時代に得たと思います。高校生時代にアメリカ帰りの木琴の大先輩、平岡養一先生のリサイタルを聴いて私の人生が決まりました。

平岡先生は戦前、単身アメリカにわたってNBCの専属として毎朝全米ネットで15分間の生放送を3000回もされた方です。先生のコンサートの最初の曲「ヘンデルのヴァイオリンソナタ」を聴き終わったとき、私は心臓が息苦しくて、へなへな…と崩れ落ちそうになるほど体力を使っていました。その時の緊張感とフレーズの呼吸の素晴らしさは60年経った今でも演奏姿の映像と共に鮮やかに思い出せます。

この経験は私の一生の宝物です。その後、自分がスランプに陥った時、又マリンバのコンサートに行っても何も感じられず「マリンバって所詮この程度の楽器なのか…」と不信感に陥った時、「あの時の感動…」を思い出して救われます。

プロの道へ

当時は音楽大学にマリンバ科は存在せず、まずは東京に出たくて武蔵野音大のピアノ科に入学しました。

私の青年時代はマリンバの演奏家として非常に恵まれた時代で、入学後すぐに撮影所の音楽録音に誘われて、まだ若い黛敏郎、芥川也寸志、武満徹氏等の種々の映画の録音に参加することが出来ました。黛さんが木琴の楽譜の訂正のため私のところに来られた時、オーデコロンのほのかな香りと近くで見るそのダンディぶりには、大いにあこがれたものです。

当時、都内の交響楽団は「現代音楽」に対応できる鍵盤打楽器奏者が不足していたため、私は学生の内から東京中の交響楽団のエキストラ奏者として新作の初演を、あるいはストラビンスキーやショスタコーヴィッチの木琴パートを受け持ちながら「オーケストラの中から聴く」という貴重な経験をしました。複数のオーケストラから正式団員としての勧誘を受けましたが、私はあくまでマリンバのソリストを目指し、“フリー”の道を選びました。

その後、ラテンオーケストラの東京キューバン、シャンソンの越路吹雪のレギュラー奏者、又ジャズのシャープ&フラッやニューハードオーケストラのメンバーとしてアンディ・ウィリアムス、ペリーコモ、シャリ―バッシ―等世界一流のミュージシャンのツアー等に参加、また、スタジオ・ミュージシャンとして放送局、レコード会社を中心に約3万曲の録音、スクールコンサートを5百校以上行ってきました。

作品の質、音楽を評価する耳 

私はマリンバ演奏家として、又時にはパーカッション奏者として、音楽のあらゆるジャンルをその道の一流の演奏家達と共演する…という恵まれた貴重な経験を得て、音楽の演奏や作品の良し悪しの判断が出来るようになりました。いわゆる現代音楽の作曲家として知られる人がNHKの子供番組を担当してろくな旋律一つ書けない“でくの坊”なのが分かったり、逆にジャズピアニストの羽田健太郎氏や前田憲男氏などポピュラー系の作曲家が、実に柔軟で多彩な才能の持ち主なのに驚いたこともあります。

両者とは縁があってマリンバのためのオリジナル作品を書いて頂きましたが、二人にとっては全く初めての楽器なのに「マリンバ」の持つ音楽的特徴を見事に掴んだ作品を見て、信じられぬ思いをしました。

最近、一部のマリンバ奏者は、他の楽器のための作品をマリンバで演奏するのを「時代遅れ」と感じて、それを公言する人もいますが、私はそうは思いません。理由は明らかです、現在演奏されているクラシック作品は数百年の歴史を経て生き残った珠玉の作品ばかりです。

それ等に比べて昨今世界中で生まれている多くのマリンバのオリジナル作品は、まだまだ底の浅い作品が多く、まあこれは、歴史の浅い楽器だから当然のことでしよう。<

以前、私が世界で一番尊敬する木琴奏者の佐々木達夫氏(アメリカ、サンディゴシンフォニーの主席ティンパニスト)の演奏するヴィターリのシャコンヌを聴き、感動で口がきけなくなるほどの経験をしました。演奏する曲さえ選べば、楽器は違えど、音楽の命は十二分に聴き手に伝わります。<

一方、若いマリンビスト達のリサイタルに行って、オリジナル作品というだけで無価値な作品を、意味も分からず夢中で弾いているのを見て可哀想になることが多いのも確かです。

以前、指揮者の外山雄三氏の素晴らしいマリンバための委嘱作品「セレナータ・マリンバーナ」について、ある評論家が雑誌の外山氏との対談で「あの委嘱作はちょっと軽すぎましたねー」と発言しました。

外山氏は「親しめる曲を…とたのまれたので…」と苦笑気味でしたが“親しめる曲は軽い曲?”…では「ショパンの夜想曲」は“軽い”のですね、「はい、とっても勉強になりました」…笑。こんな評論家がクラシックから大衆を遠ざけて来たのでしょう…(怒り)

最近は自分で作曲できるマリンバ奏者も多く出てきました。このまま底上げして行けばよい段階まで来ています、彼らの成熟を待ちたいと思います。

◆マリンバの持つ魅力

現在、世界的…と言われる奏者やグループを私が聴いて一番不満を感ずるのは、マリンバがリズム楽器の様に感じられて《歌う》という部分がほとんど抜けていることです。

マリンバの持つ現代感覚のリズムの躍動感の素晴らしさは、演奏アクションのパフォーマンスも加わって若い奏者達が注目するのは納得できます。

ただそれと同じくマリンバの鍵盤の《木》から醸し出される自然で素朴でソフトな音色は、もう一つの底の深い世界、「静…(癒し)」の魅力があります。それに気が付いていない奏者があまりにも多いのが私には残念でたまりません。<

マリンバの持つ魅力は、まだまだ世間にはその一部分しか知られていない事を痛感します。マリンバは華やかな面に加えて、情緒的な音楽をたっぷりと歌える楽器であるということを、まずマリンバ奏者自身が知ってほしいと思います。マリンバの素晴らしいオリジナル作品が沢山生まれ、ごく一般の音楽ファンがその曲を聴きたくてコンサートホールに足を運ぶ…そんな時代を夢見て私は演奏を続けます。