ラクーア伝道 1950年(昭和25年)日本のマリンバ時代の幕開け

ラクーア(Lacour) 音楽 伝道

ローレソス L.ラクーア
(Lawrence L. Lacour) 1914 – 1999
ミルドレッド ラクーア
(Mildred Lacour) 1916 2016
左からMildred Lacour,Leontine Ostlund,Lois Seashore

1950年(昭和25年) ラクーア(Lacour)音楽伝道の概要


ローレソス L.ラクーア (Lawrence L. Lacour)は海軍の従軍牧師として軍艦ピエモンテに乗り、終戦直後 横須賀に3か月滞在したが、その間に武藤富雄 (キリスト教牧師で、後に恵泉女学園理事長、東京神学大学理事長となる人物) と知り合う。
ラクーア はアメリカ帰国する際にに「自分の主催する楽団を連れて、必ず日本に伝道に来るから」と約束した。そして、妻のミルドレッドと共に生活費を切り詰め、3年をかけて伝道資金を蓄え、1949年(昭和24年)12月 に武藤 氏に「自ら貯蓄した6, 500ドルの資金をもつて全日本の伝道をするため音楽団をひきいて来日するから,よろくし頼む」と連絡してきた。

1950年3月,日本基督教協議会とキリスト新聞社がこの音楽伝道に協力することとなり、1950年6月から12月までの5か月間の日本音楽伝道ツアーが行われるこに至った。

来日メンバーはラクーア夫婦の他にクラリネット奏者とトロンボーン奏者の女性と合計4名。ラクーア夫人は名門ジュリアードスクールで学んだハープ奏者だった。そして、この4名はClair Omar Musser 率いる「マリンバ オーケストラ」のメンバーでもあり、ヨーロッパ演奏旅行にも参加していた。ラクーアの母も、また 「マリンバ オーケストラ」の団員だった。(これによりマッサー マリンバ オーケストラ団員は専門楽器を持ちながら、マリンバも演奏するというという団体であったことが分かります。)

一行を乗せた貨物船サープライズ号は1950年6月21日横浜に入港した。
荷物は大きなトレーラーバス( 4つのベッド、台所、シャワー付きで、上が演奏ステージになる)、マリンバ4台、ハープ、 クラリネット、トロンボーン に屋外演奏用の4本のマイク。
この入港のニュースは新聞各社、ニュース映画が大々的に報じた。

武藤富男 は通訳兼アシスタントとしてツアーに同行、日本滞在期間は5か月170日、工程は東京→東海道 → 中国 → 九州 → 北陸 → 東北 → 北海道 → 四国 → 東京と日本全国に及び、128都市で194回、聴衆総数は43万(50万人と記された資料もある)。公演は全て大盛況であった。

当時の日本は 平岡養一の木琴演奏がラジオ放送などで流れ、木琴演奏には既に馴染み、親しんでいたが、パイプが長く美しいアーチ形状のマリンバが、しかも4台もステージに並んだのですから、その壮観さに驚き、また奏者のエレガントな容姿、演奏された讃美歌の清らかな曲想にマッチしたマリンバの優しい音色、が観客を大いに魅了したであろうことは疑う余地もありません。
実際、このツアーはキリスト教布教に大きな成果を生みましたが、 これに「マリンバ」という楽器が一役買ったということは間違いないでしょう。

車はトレーラーとそれを引く車(フォード)と荷物用の計3台。運転したのは夫妻だったが、当時の日本は道路がまだ整備されいない場所、道幅も充分でない場所も多く、左右を擦らないようにゆっくり走らねばならなかったり、途中でトレーラーを繋ぐ金具が折れてしまったこともあり、なかなかのハードワークだった が、公演場所に着くとメンバーは嫌な顔一つせず楽器を組み立て、演奏し、また解体し、再び運転と、実にバイタリティに溢れた活動ぶりであったという。

日本のマリンバ発展に与えた影響

このラクーア伝道団の演奏を当時中学生だったマリンバ界の巨匠「安倍圭子」氏が聴いている。その模様を語ったインタビュー

私も木琴を習っていました。卓上で弾くシロフォンです。マリンバには、シロフォンには無い共鳴管が付いている。パイプオルガンのような深い響きに打たれ、心を奪われました。この日から、マリンバは私の「道」になりました。

この伝道団の活動のあと、それまで主役だった「シロフォン」は次第に「マリンバ」へ移り変わっていきます。

実際の演奏の様子

屋内集会(四国 宇和島)
屋外集会(トレーラー上のステージ)沼津千本浜にて
トレーラのステージとそれを引く乗用車(フォード)
港で歓迎を受ける
盛岡 岩手公園
ステージ上から
女性コーラスも(秋田)

プログラムと演奏曲目

program

プログラムに記された曲名:

1.Ouvre ton coeur / Bizet
2.”Berceuse(Lullaby)” from Jocelyn ジョスランの子守唄
3.Mountains / Rasbach
4.Trees / Rasbach
5.Take Joy Home / Bassett
6.If My Song Had Wings / Hahm
7.Dawn/Curran
8.Morning / Speaks
9.Italian Street Song from Naughty Marietta / Herbert
10.The Sleigh/ Richard Kountz
11.The Blind Ploughman / Clarke
12.The Hills of Hime / fonx 故郷の丘
13.To a Hilltop / Cox
14.Agnus Dei / Bizet
15.At the Cry of the First Bird by David W. Guion
16.Ave Maria / Bach – Gounod
17.Christ be with Me/Chopinキリストよわれと共に在りせ
18.He Shall Feed His Flock (from Messiah) / Handel
19.I Know That My Redeemer Liveth
(from Messiah) / Handel
20.My Red?? and My Lore(from The Golden Legend / Buck
21.O Divine Redeemer / Gounod
22.Panis Angelicus / César Franck
23.The Ninety and Nine / Campion(99匹のヒツジ)

1954年 第二回目の音楽伝道

1950年のツアーの後、1954年6月18日に再びラクーア氏は日本伝道に訪れる。この第二回目のツアーにはラクーア夫婦の他にソーカ(Soka)夫妻も参加し、マリンバは写真のように3重奏。写真真ん中の大型のマリンバを持参した(左右の2台のマリンバは第一回目のツアーの際に日本に置いていった楽器)。ソーカ夫妻もまた マッサー氏の「マリンバ オーケストラ」のメンバーであった。楽器は前回同様ハープと、その他にアコーディオンとオルガン(鍵盤が2段式のオルガソニック)、日本人声楽家一人が加わった。
第二回目は 福島県下の教会を建設しようというプロジェクトであったようで、 日本全国を回るのではなく、東京(青山学院)や、福島県下を回る音楽伝道が行われた。

From the left  Mrs. Lacour 、Mr.Soka、Mrs.Soka