演奏で辿るXylophone、Marimbaの歴史

Deagan社とXylophone。 多くのXylophone 奏者が活躍した1930年代。 Xylophone からJazz Vibe への移行。 Deagan社 のエンジニアClair Omar Musser氏の1933年にシカゴで開催されたMusse氏と100人のマリンバオーケストラ。Musser Marimbasを設立 。1950年、日本にマリンバ上陸。 Xylophone からMarimbaへ。クラシック音楽分野でのオリジナル作品1940年 Paul Crestonの Concertino for marimba and orchestra Op. 21 。1960年代からのオリジナル作品必要論。現代音楽の分野での活躍。現代に至るXylophone、Marimbaの流れを演奏とともに辿ってみたいと思います。

1930年代のアメリカのシロフォン奏者たち

"The Dance of the Raindrops" The famous Teddy Brown 1930
Teddy Brown (1936)
Jack Simpson Issue Title Is Break Away (1939)
Jack Simpson (1939)
Making Notes (1933)
Making Notes (1933)
"XYLOPHONIA" – Harry Breuer
Harry Breuer
Harry Robbins (1933)
Harry Robbins (1933)
Joey The Clown – Xylophone solo by Rudy Starita – 1931
Rudy Starita (1931)
Joe Green(Xylophone) & Milt Herth(Hammond) – "XYLOPHONIA"
Joe Green(Xylophone) “XYLOPHONIA”
Green Brothers; George Hamilton Green, Joe Green and Lew Green…Their music.
George Hamilton Green, Joe Green and Lew Green
Red Norvo Octet "BLUES IN E FLAT" (1935)
Red Norvo (1935)

20世紀前半期までのヨーロッパ、ロシアの縦型シロフォン

Hora Staccato.mpg
Bena Havlu – Paganini Capriccio XXIV, Xylophone Solo
Donets Stepan (Xilofon)

サン=サーンス 「死の舞踏」Camille Saint-Saëns / Danse Macabre(1874年)

Camille Saint-Saëns – Danse Macabre

オーケストラに於いて、Xylophone が初めて用いられた作品。当時の楽器は縦型の木琴で、藁をより合わせて作ったかせの上に音盤を並べて弾かれたため、straw fiddleと呼ばれていた。

死の舞踏(仏:Danse macabre)作品40は、カミーユ・サン=サーンスの作曲した交響詩.1872年にまずは歌曲として作曲され、1874年に管弦楽曲としてまとめられた。
午前0時の時計の音とともに骸骨が現れて不気味に踊り始め、次第に激しさを増してゆくが、夜明けを告げる雄鶏の声が響きわたるや墓に逃げ帰り、辺りが再び静寂に包まれるまでを描写的に描いている。

オーケストラとXylophone

Igor Stravinsky / The Firebird, Ballet 火の鳥(1910) 、 Petrouchka ペトルーシュカ (1911) 、 Petrouchka (1947)
Sergei Prokofiev / Scythian Suite スキタイ組曲(1915)
BélaBartók / The Wooden Prince かかし王子 (1917),

      
Musique Pour Cordes, Percussion Et Celesta 弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽(1936)
Dimitri Kabalevsky / The Comedians, Suite 道化師(1939)

Aram Khachaturian / “Sabre Dance 剣の舞” from ballet Gayane ガイーヌ (1942)
Benjamin Britten / The Young Person’s Guide to the Orchestra 青少年のための管弦楽入門(1945)

Olivier Messiaen / Oiseaux Exotiques 異国の鳥たち (1955)
Pierre Boulez
Karheinz Stockhausen

Clair Omar Musser [Marimba Orchestra and 100 players]1930年代~1950年代

Clair Omar Musser “Etude” and “Prelude”

Etude Op. 6, #10 (C Major), by Clair Omar Musser – Marimba Literature Library
Etude Op. 6, #10 (C Major), by Clair Omar Musser
Etude in Ab Major- Musser
Clair Omar Musser: Etude in Ab Major op.6 No.2
Airport3.Musser Etude Op 6. No. 8 "Nature Boy"
Musser Etude Op 6. No. 8
PRELUDE Op.11, No. 3 (Musser) – Marimba
Clair Omar Musser Prelude Op. 11 No. 3 in G Major
Etude Opus 6, No 9 B Major By Clair Omar Musser Perform by Orlando Cotto
Etude Opus 6, No 9 B Major By Clair Omar Musser
Etude Op. 11 N° 4 – Clair Omar Musser
Etude Op.11 No.4 By. Clair Omar Musser

日本のシロフォン/マリンバ 発展のルーツ 平岡養一 (Yoichi Hiraoka)

[木琴] 平岡養一 / ルーマニア狂詩曲 Yoichi Hiraoka – Enescu / Rumanian Rhapsody
Enescu / Rumanian Rhapsody ルーマニア狂詩曲

平岡養一 (Yoichi Hiraoka)1907年8月16日 – 1981年7月13日 (ウィキペディア Wikipedia より)

慶應義塾大学経済学部卒業。
1927年5月、帝国ホテルにて最初のリサイタルを開催。1929年には当時檜舞台とされていた日本青年館でリサイタルを開催し、成功を収める。
1930年6月、父に促されアメリカ合衆国へ留学。レコード録音で稼いだ片道ぶんの旅費にあたる1000円のみを所持しての旅立ちだった。9月に受けたNBCのオーディションで、80人の中から選ばれ合格。翌年、15分間のラジオ番組への出演が決定。この番組は、放送回数が4000回に及び、「アメリカ全土の少年少女は、ヨーイチ・ヒラオカの木琴で目を覚ます」と言われた。戦時中はNHKを通して日本国内でも放送された。

1936年12月、ニューヨークのタウンホールにて独演会を開催。演奏は成功を収め、ニューヨーク・タイムズも絶賛した。この成功を受けて、相手の両親の許可を得ることができ、1937年3月に結婚。1942年6月、戦争のため日本に帰国。ビクターと契約しレコードを発表すると、日本でも平岡の存在が知られるようになった。また、戦時中から国内を演奏活動して巡り、1963年までに2000回を超える演奏会を行った。

20年後の1962年11月、ニューヨーク・フィルハーモニーの独演者としてカーネギー・ホールへ日本人として初の出演。翌年、永住権を取得し家族と共にカリフォルニア州に移住。5年後には市民権を獲得。日本とアメリカを行き来しながら精力的に演奏活動を行った。

1978年、胃癌により胃を全摘出。11月、勲四等瑞宝章を受章。1981年、73歳で生涯を終えた平岡のモットーは「幸福と成功は努力して得ねばならぬ」であった。

ニューヨークで行われた平岡養一 3つのリサイタルの New York Times 批評

1936年12月22日 ニューヨークリサイタル
  • 3つのヘンデルの作品
  • バッハ/フルートソナタ 第一番
  • ハイドン/メヌエット
  • ベートーヴェン/クロイツェルソナタよりアンダンテと変奏、プレスト
  • モーツァルト/アイネクライネナハトムジーク
1937年11月25日 ニューヨークリサイタル
  • ヘンデル/ソナタイ長調よりアダージョとアレグロ
  • グルック/ガヴォット
  • ラモー/メヌエットとタンブーラン(クライスラー編曲)
  • ベートーヴェン/ コントルダンス
  • ハイドン
  • ダカン
  • モーツァルト
  • バッハ/ヴァイオリン協奏曲 ホ長調
  • 日本古謡/越後獅子
  • リスト/ハンガリア狂詩曲 第二番
1962年11月28日 ニューヨーク
[カーネギーホール] リサイタル
  • モーツァルト/アイネクライネナハトムジーク
  • 日本古謡/お江戸日本橋、かっぽれ、平城山、山寺の和尚さん、出船
  • ラモー
  • シューベルト
  • ボッケリーニ
  • ワグナー
  • ファリャ

1930年代にアメリカで出版された 平岡養一氏の Xylophone曲集と「序文」

序文:
音楽愛好家やプレイヤー自身の間でさえも、木琴に対する広範な偏見があります。それは、木琴が 歌うことができない、 ボードビルのような喜劇的パフォーマンス行為における楽器であり、歌うことができない楽器という認識があるからです。しかし、それは不正確であって、人々が木琴の可能性を理解したときに証明されるでしょう。シロフォンは音楽的な演奏をすることができないと一般的に思われ差別されていますが、本当は素晴らしい音楽を奏でられる楽器なのです。
いい演奏をするシロフォン奏者がいないことが大きな欠点で、上記の様な評価を受けています。
木琴での本当に美しい音楽を演奏する方法を十分な数の楽器奏者が知っていれば、偏見は消え、新しい木琴文学の発展が促進されると私は信じています。

木琴が歌えることを人々に証明しなければなりません。私はそれができることを知っています。私たちがリズムと陰影を一生懸命忠実に演奏するならば、それらの一見活気のない木のブロックは美しい音楽を生み出すでしょう。

これを行うには、木琴を愛さなければなりません。あなたは演奏しながら心の中で歌うのです。あなたはあなた自身の表現をあなたの演奏に入れるための努力をする必要はありません。ただ音楽に忠実に – すべての表記法、リズム、ピアニシモス、フォルティッシモス、クレッシェンド、ディミヌエンドを再現してください。
あなたがその楽譜に書いてある通りに素直に演奏していけば自然と音楽的な演奏となるのです、そしてあなた自身の個性はあなたの演奏に現われるでしょう。

多くの場合、最大の過ちは、音楽表現に自分の表現を優先する奏者によって行われています。これを修正するために、私たちは楽譜に書いてあるリズム、陰影を注意深く受け止めるべきです。
奏者が上達し良い演奏を提供することで音楽界に於いてコンサート楽器として認められ、木琴がその正当な場所を得ることができるのです。

Yoichi Hiraoka

1940年に作曲された Paul Creston (クレストン) / Concertino for Marimba and Orchestra(女性指揮者 Frederique Petrides の委嘱による)

Paul Creston / Concertino for Marimba(Xylophone) and Orchestra ,Tatsuo Sasakiマリンバ 小協奏曲(クレストン)

Programme NotePaul Creston Concertino for Marimba (1940)Composer Note:

This work, which was commissioned by Frederique Petrides, conductor of the Orchestrette Classique, and dedicated to her, was completed in March, 1940. It is in three movements and is designed to demonstrate the capabilities of the marimba as a solo instrument with orchestral accompaniment.

The first movement, marked “Vigorous”, is based on two main themes, a strongly rhythmic one and a lyric one, both of which are announced in the orchestral introduction. The development of these themes occurs mainly in the solo part, and within the 3/4 meter are incorporated various rhythmic patterns.

The second movement, marked “Calm”, consists of an introductory theme first presented by solo flute, immediately followed by the main theme (in chordal structure) played by the marimba with four mallets. The general mood of tranquility is retained throughout, except for a minor climax developed toward the middle of the movement.

The last movement, marked ”Lively”, is a combination scherzo and finale, in 6/8 time. Rhythmic variety is the chief objective of this movement, the lyric and dramatic elements are interspersed throughout. (Paul Creston )

There are no isolated cadenzas to reveal the virtuosity of the soloist, as the composition as a whole affords numerous opportunities to display this phase.

マリンバ日本初上陸 ラクーア音楽伝道 1950年(昭和25年)

詳細→ラクーア音楽伝道の旅路

Robert Kurka 作曲 Concerto for Marimba and Orchestra, Op. 34 (1957年)

Robert Kurka: Marimba Concerto

Robert Kurka(1921-1957)はDarius Milhaudにも学んだアメリカの作曲家。若くして白血病のために亡くなった。この協奏曲の演奏は没後2年経った1959年11月11日、Richard Korn 指揮 女性マリンビストVida Chenoweth氏によって行われた。

佐々木達夫氏 サンディエゴ交響楽団の演奏→ Library ページ

日本の初期マリンバ オリジナル作品 (1960年代) へ続く